2015.5.30 release ライセンス正規国内盤 TAIYO 0026
ナー・オゼッチ、ゼー・ミゲル・ヴィズニキ/ナー&ゼー
歌詞対訳: 安東直子 ライナーノーツ: ルイス・タチ
[ゼー・ミゲル・ヴィズニキ
'48.10.27 サンパウロ出身]
17歳でクラシック音楽のソリストとして舞台に立って以来、ピアニストとして、コンポーザーとして、S.S.Wとして音楽活動を行なう傍ら、母校サンパウロ大学ポルトガル語文学の博士号を取得し教授としての仕事も担う、知性派ブラジル音楽のマエストロ - ゼー・ミゲル・ヴィズニキ。自身のソロ名義ではデヴュー盤「JOSE MIGUEL WISNIK」('92)、「SAO PAULO RIO」('00)、「PEROLAS AOS POUCOS」('03, 以上三作入手困難)、そして記憶に新しいのが、ピアノ弾き語りを中心に据えた盤と、アルトゥール・ネストロフスキー(g) らをフィーチャした盤との二枚組大作
「INDIVISIVEL」('11) を発表するほか、トン・ゼーと2作、カエターノ・ヴェローゾと1作、連名にてコンテンポラリー・ダンスのグルーポ・コルポに書き下ろした作品も。アンドレ・メマーリの作品に参加したり、タウブキンが南米中のコンテンポラリー・ミュージックを特集した作品でフィーチャーされたり、エヴェリーニ・エッケルのように全曲ヴィズニキの作品を発表したりと、シーンで彼の楽曲を採り上げる音楽家は枚挙に暇がないほど、敬愛を集める存在。
[ナー・オゼッチ
'58.12.12 サンパウロ出身]
カエターノやジルのトロピカリズモ以来のムーヴメントと呼ばれた、80年代のヴァングアルダ・パウリスタ。既存のブラジル音楽のリズムにポスト・パンクなロック、前衛アートのエッセンスを注入したいわばブラジル版ニュー・ウェーヴの動き。この中心にあったのがルイス・タチ率いるグルーポ・フーモで、此処の女性リード・シンガーとしてデビューしたのがナー・オゼッチ。グループでの活動以降は、当時大きな話題を呼んだ1st 「NA OZZETTI」('88) を皮切りに、「NA」('94)、「LOVE LEE RITA」('96)、「ESTOPIM」('99)、
「SHOW」('01)、とソロとしてインテリジェントでアーティスティックな作品を発表して行きます。ここ日本でもアンドレ・メマーリとのデュオ作品
「PIANO E VOZ」('05) は大きな話題となりました。チェロ奏者にして名アレンジャーのマリオ・マンガと制作した「BALANGANDAS」('09)、「MEU QUNTAL」('11)、
「EMBALAR」('13) は、芸術としてのブラジル音楽を求めるリスナーをも唸らせる意欲作。
「ナー&ゼー」
初めてナー・オゼッチがゼー・ミゲル・ヴィズニキの楽曲を歌ってから30年。かつてナーのソロで発表された歴史と思い入れを持った楽曲に、フェルナンド・ペソアら詩人の作品に曲を付けたもの、
パウロ・レミンスキら前衛で活躍したアーチストとコラボレイトした楽曲から、娘の
マリナ・ヴィズニキとの近年の楽曲... リリカルな佇まいのゼー・ミゲル・ヴィズニキ楽曲を、澄んだソプラノ・ヴォイスにアカデミックな成分を擁するナー・オゼッチが歌うというコンセプトのサンパウロ音楽史上最重要作。家宝ものDVD作品
「O FIM DA CANCAO」にも出演、女性S.S.W.
トゥリッパ・ルイスとの来日('12) でもヴォイスper. + b という離れ業で度肝を抜いたマルチ・インストゥルメンタリスト - マルシオ・アランチスが現代サンパウロの新世代ミュージシャンならではの先鋭な感覚でプロデュース、同じくDVDに出演していたジャズ系ミュージシャンのセルジオ・ヘジ(drs) に、エクスペリメントな打楽器奏者
ギリェルミ・カストルプ(drs)、流麗な生ギターを聴かせる名手
スヴァミ・ジュニオールらの演奏陣に、アルナルド・アントゥネスが1曲デュエットで参加。全14曲、エキセントリックな衝動がはじけるアンサンブルから、滑らかな室内楽にピアノとイフェクトのみを背景にした静かな叙情の曲想まで。マエストロ - ヴィズニキの詩的な世界観を共有すべく、国内盤ブックレットには
本邦初の日本語歌詞対訳がつきます。
現地サンパウロでヴィズニキの指南を仰ぎながら作成される歌詞対訳。本製品の一大トピック。
[かつての同胞 ルイス・タチによるライナーノーツ]
はじめてナー・オゼッチがゼー・ミゲル・ヴィズニキの歌ってから30年が経とうとしています。イエマンジャーの日に、本アルバムの最後に収録している"Louvar"で幕を開けたゼーと彫刻家ラウラ・ヴィンチの結婚式の祝宴。そのすぐ後にゼーは、ナーとスザーナ・サリス、ふたりの80年代サンパウロのシーンを体現する"声"が出演する舞台"Princesa Encantada" のために"Tudo Vezes Dois" の作曲に取り掛かります。それからそれほど長い時間を費やすことなくナーのデヴュー・ソロ・アルバムが発表されましたが、そこでは不可欠な4曲がゼーの作品でした。それらのうち美しい"A Olhos Nus" と "Orfeu" が幸運にも本アルバムに再録されています。
私たちが此処で受け取るレパートリーのなかに風変わりなものがあります。上に挙げた唄たちと二つの例外、最新の一つを除いて、他の唄たちはずっと秘密のヴェールに包まれていたもの。それらはさきの世紀末からゆっくりと、叙情的な、情感的な反応試験を繰り返してきた真珠たちです。 ―どのように詩を歌詞に変換すればよいのか― ヴィズニキは彼のメロディの力に応じて、それを行ないました。彼は常に言葉や文章を自己の内側に採り込むようにして理想的な曲線を見つけようとします。彼はそれらを歌詞に置き換えているので、結果的に深みを持った唄へとなるのです。フェルナンド・ペソア "Sim, Sei Bem"、オズヴァルド・ヂ・アンドラーヂ"Noturno no Mangue"、カカソ"Louvar"、そしてパウロ・レミンスキ"Gardenias e Hortensias" といった詩作群。そして経験は詩人とのパートナーシップにおいても活きています。レミンスキ自身の作品"Subir Mais" に "Sinais de Haikais"、 ほかにもアリシ・ルイス(レミンスキの娘)"Sinal de Batom"、マリナ・ヴィズニキ(ゼー・ミゲルの娘)"Miragem"、パウロ・ネヴィス"Alegre Cigarra"、"Som e Furia" そして"A Noite"といった共作群。ところで、最後に挙げたパウロ・ネヴィスの詩にヴィズニキを呼び覚ます、ひとつの考えが籠められています。「詩が呼んでいる、音楽は燃え上がる」私はこの部分がここに収められたすべての唄に当てはまると信じています。
ここに収録された肯定的な性格の唄たち、この不確かな世界で"Yes" を選択した唄に寄り添うように、そこにはメロディアスな弦楽、トラックからトラックへと甘い哀しみを演出する指揮者、そしてピュアなメランコリーに酔い陥ることなく、哀しみを体現する穏当なヴォーカルが要求されます。それこそがナー・オゼッチ、我々の素晴らしいシンガーの思慮深く、紛れもない唄声であるということ。そして前のアルバムの意義ある楽曲の多くが、何故相応しい着地点を見つけられなかったのかを理解することになります。それは単純な話で、ゼーは待っていたのです。彼の決定的なレコードを吹き込むナーのことを。新たな宝石を。